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伝習会 第90回

伝習会

〈 第九十回 〉

曲学阿(きょくがくあ)(せい)(訓読…(がく)()げて()(おもね)る)……史記

  (訳…真理に反する学問を修めて、又は、学問の真理をゆがめて伝え、世の中に()(へつら)う事)

~ 曲学(きょくがく)は真理を曲げる学問のこと、()(せい)は世の中に迎合(げいごう)(おもねる)すること

 です。これは前漢.第七代皇帝.()(てい)B.C156年~B.C87年)の清廉な老臣轅固生(えんこせい)が、

若くして重臣となった公孫(こうそん)(こう)(いさ)めた次のような言葉です。

()()さるるや、薛人(せつひと)公孫(こうそん)(こう)(また)()さる。()(そばだ)てて()()る。()(いわ)く、

(こう)孫子(そんし)正学(せいがく)(つと)めて(もっ)()え。曲学(きょくがく)(もっ)()(おもね)ること()かれ」と】 

 (訳…()轅固生(えんこせい))が天子に召集されると、(せつ)の人公孫(こうそん)(こう)も召集された。公孫(こうそん)(こう)は、(えん)個生(こせい)を無視して目をそらしているばかりだった。すると轅固生が公孫弘に向かって言った。「公孫弘よ、正しい学問に励んで正しいことを言いなさい。いい加減な学問で世に迎合してはいけませんよ」と。)

  昭和25年、吉田茂首相によって一躍有名になった言葉です。

 戦後、昭和24年頃から日本は戦勝国と何とか平和条約の講和と独立を果たしたい、という機運が盛り上がっていました。アメリカを中心にした平和条約にソ連、支那、インドが反対して、米国を中心とした西側の単独講和か、ソ連を中心とした東側を含めた全面講和かで、国内は二分されていました。当時、革新政党や社会的知識人という輩が、政府の西側諸国の単独講和に反対し、全面講和を主張して政府を攻撃しました。

 その先頭にあったのが東大の南原繁総長でした。その時、吉田首相が「永世中立とか全面講和などと言うのはいうべくして到底行なわれないことであり、それを南原などが政治家の領域に立ち入って、かれこれ言うのは【曲学阿(きょくがくあ)(せい)()】にほかならないと言えよう」と言ったことから脚光をあびたそうです。

  日本は、昭和26年9月8日サンフランシスコ平和条約に調印し、翌27年4月28日発効されました。この428日は、昭和20年8月15日の敗戦から6年8ヶ月という屈辱的な植民地から解放され独立した記念すべき日であります。

  今にして思えば、日米安保条約の締結で日本の平和が維持出来たのは、現実

 的な選択があったからではないでしょうか。最近の世相をみるにつけ、政治家にしろ、マスコミにしろ、余りにも無責任な【曲学阿世】の徒が、恥じのかけらもなく、跋扈(ばっこ)していると思うのは私だけでしょうか。~

 

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